』を結成し、1988年9月21日にシングル「だからその手を離して」、アルバム「B'z」の同時リリースでデビューした [『Be with! volume000』B'z PARTY、1988年。]。二人で初セッションした時、機材の故障により結局2曲しかセッションをせずに結成が決まったという話もある。2人はデビュー15年以上経った今でも「一緒にやろう!」とはお互い言った事はないと笑いながら語ることがある。しかし、93年の『LIVE-GYM '93 "RUN"』の中で、そういえば言っていないなということで、稲葉が「一緒にやろう!」と言った事もある。長戸は「稲葉を何とかしたい、早くデビューさせたい」とB'z結成の2、3年前から事あるごとに言い続けていた[『GB』1990年 ソニーマガジン社 ]。
最初のうちは他のメンバーも探すつもりだったが、2人でデモテープを作っているうちに、「2人でもいい」と思うようになり、2人でいこうということになった。松本はデビュー時から明確なビジョンを持って制作に当たっており、稲葉に初対面した際に「オリコン」の(1位〜50位までが掲載されている)左ページに載らなければいけないという目標を話したり、アルバム三枚までの間にヒットさせるという三ヵ年計画を力説したりしていたという[『Be with! volume075』B'z PARTY、2007年。]。初期のB'zのプロデューサーは中島正雄である。B'zがブレイクした後も中島はスーパーバイザーという肩書きで指揮していた。 結成後〜現在
2007年現在、日本が誇るロックユニットと呼ばれているB'zだが、初期の作品はギターサウンドを抑え打ち込みを前面に出したTM NETWORKに近いデジタルサウンドであった。これは元々B'zが、当時人気絶頂期にあったTM NETWORKのビーイング版というコンセプトで結成されたからである。松本は「B'zの初期は、確かにTMの流れを汲んでいた」「TMから始まったものが今の僕のスタイルの一部にはなっていると思う」「B'zの初期はテッちゃん(小室哲哉)の影響が大きかった」と語っていたり[『TMN最後の嘘(トリック)』ソニー・マガジンズ 1994年 ]、本人達は「デジタルでは絶対に音が作れないギターとボーカルを、デジタルビートと融合させる、というコンセプトで活動している」とも発言していた。デビュー当時はTMNのツアーにくっつける形でキャンペーンを行ったり、松本はライブやレコーディングにTMNのサポートメンバー時代の仲間である阿部薫や久保こーじを招いていたほどであった[久保こーじ「久保こーじのBUZZ LEAGUE」2006年9月19日。(参照:2007年5月2日。)]。しかし、デビュー作は全く売れずオリコンチャート100位以内にも入らないなど、デビューからしばらくは大苦戦が続いた。ブレイクのきっかけは1989年にリリースしたミニアルバム『BAD COMMUNICATION』である。このミニアルバムに収録された同名の曲が、タイアップの効果もあり有線で注目され始め、オリコンチャート10位以内には入らなかったものの163週ランクインすると言うロングヒットを記録。1990年のシングル『BE THERE』で初のトップ10入り、そしてシングル『太陽のKomachi Angel』が初のオリコンチャート1位を記録しブレイクを果たす。ブレイク以降、次第にロック色を強くしていくこととなる。デジタルビートから、ダンス、生の管楽器や弦楽器を導入したアレンジや、4ピースバンドロックと時代ごとに特徴がある。そして、2007年9月21日に結成20周年目に突入したB'zは、ロックンロール・音楽界に貢献したアーティストを讃える「Hollywood's RockWalk」へスティーヴ・ヴァイの推薦があり殿堂入りが決まった。日本・アジア圏のミュージシャンで選ばれたのは今回が初である。 詳細
ユニット名の由来
インタビューでユニット名の由来を聞かれた際は、インタビューの度に回答を変えているため、現在でも正式な由来は不明とされている。中には『僕達、絶好調の略』や『ビートルズとツェッペリンの頭文字』など、冗談めかした物も多い。以下は雑誌などのインタビューにおいてユニット名の由来を聞かれた際の、2人の主な回答である。
2007年度の会報のインタビュー内でも、初期案の『A'z(アズ)』が世相的に良くないということでAの次のB、しかもBから始まるバンドは力強いバンドが多いので『B'z』になったと語っている。
3rdアルバム『BREAK THROUGH』の
バンドスコアでは、本人たちのコメントとして「何か記号的、かっこいいものにしたかった」とあり、企業のロゴのように
意匠化しやすいイメージで名前をつけた
[『B'z Break through + Bad communication』リットーミュージック、1992年。ISBN 4-8456-0631-3 ]。
初期の会報で松本は、「終わりにZをつけるのが最初に決まって、スタッフと考えた結果B'zになった」と語っている[『Be with! volume001』B'z PARTY、1989年。]。
音楽活動
ほぼ一年に一枚のペースでアルバムをリリース、そしてそれをテーマにしたライブコンサートツアーを同じく年に一度を基本に活動。シングルはデビュー以来毎年リリースされている。
松本と稲葉がそれぞれすべての楽曲の作曲・作詞を担当。ただし、1stアルバム『
B'z』の中の『Nothing to Change』のみ
亜蘭知子が作詞している。同じく同アルバムの『孤独にDance in vain』のみ
大槻啓之が作曲している。松本曰く、「当時はあれが限界だったと語っている」
[『別冊カドガワ B'z総力特集』角川書店、2003年。ISBN 4-04-721503-1 ]。
音楽的方向性はアルバムや時期ごとに変化しており、初期のころはデジタル打ち込み音とギターによる曲作りをしていたが、次第にロック色を強めていき
、シングル『
ZERO』や『
Don't Leave Me』のころからこれは顕著なものとなっていく。そのために打ち込み音を使用する割合は徐々に減っていき、近年の楽曲はライブ感重視のものとなっている
。
メディアへの露出
毎年ライブツアーを主体とした活動を行っており、テレビの露出は少ない。『MUSIC STATION』、『COUNT DOWN TV』などに出演する程度である。ただ、ソロ活動時やソロ明け復帰シングル『FIREBALL』、『愛のバクダン』発売時などは、『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』、『うたばん』、『僕らの音楽』などの番組に出たこともある。年末年始は『NHK紅白歌合戦』などの大晦日の特番には一切出場しない。そのため、年末最後の出演は『MUSIC STATION SUPER LIVE』となることが多い。2人ともテレビでのトークは控えめだが、東海ラジオ『Come on JTB B'z WAVE-GYM』(両名)、『WAVE-GYM Vol.0』(稲葉)、TOKYO FM『BEAT ZONE』(松本)ではレギュラーを務め、単発ではニッポン放送『オールナイトニッポン』(1992年、1995年、2000年、2001年、2003年、2005年)と、多数のラジオ番組のパーソナリティをこなしていた。 ファン
ファンクラブ 「B'z Party」の加入者数は延べ人数で53万人を超える[『Be with! volume073』B'z PARTY、2007年。](休眠会員含む)。50ページを超えるほどの会報が年に4回ほど発行される。この会報においては、二人のインタビューが内容の約3割を占めている。 権利問題
1997年4月26日にBMG JAPANから『Flash Back-B'z Early Special Titles-』が発売された。内容は、1stアルバム『B'z』、2ndアルバム『OFF THE LOCK』、3rdアルバム『BREAK THROUGH』、1stミニアルバム『BAD COMMUNICATION』の中から選曲し、ベストアルバム的な構成で2枚組にまとめたものである。しかしこのアルバムは、松本・稲葉の両者や事務所の許可なしに制作・販売されたもので、ジャケットや歌詞カードにB'zの2人の写真は1枚も使用されず、現在もこの作品は公式サイトのディスコグラフィーには掲載されていない。ただ、初期アルバム4枚と同発の1stシングルから3rdシングルまでの3枚はBMGとビーイングが原盤権を保有しているものの代表原盤権がBMGにあるため、発売自体は違法ではない。(旧BMGビクターから移籍後のB'zのCD等の原盤権はVERMILLION RECORDSの親会社であるビーイングが保有している。)
リリース当時、B'zが所属するビーイングではZARDのアルバム『ZARD BLEND 〜SUN&STONE〜』の発売日を急遽変更し、今作の1位を阻止するという徹底的な構えをみせた。結果、初動売り上げで20万枚差をつけてZARDが一位を獲得した。そして翌年の『B'z The Best "Pleasure"』では「初のオフィシャルベスト」と強調された。その後、和解のために2000年2月23日にBMGファンハウス(当時)のBERG レーベルからマストアルバムという形で『B'z The "Mixture"』が発売された。このアルバムの原盤権はビーイングにあり、発売元がBMGとなっている。しかし、2007年現在においても、BMG時代の音源はiTunes Storeでは単独販売されておらず、これらをiTunes Storeで入手する場合は約2万円のBOXセット販売のみとなっており、現時点ではアートワークすらダウンロードできない状態である。 評価
なぜ売れるのか
音楽評論家の大貫憲章は、R25の取材に対して、熱心なリスナーではないため印象論でしかないという前置きをした上で、ハードロックサウンドとシャウト、稲葉浩志の外見の良さなどによって、B'zが日本の一般人が想定するロックのイメージをわかりやすく体現しているためではないか、としている。また、音楽プロデューサーの亀田誠治は、B'zの曲がヒットする要因を、ヒット曲に必要な条件である「アーティストパワー」「楽曲のパワー」の両方を兼ね備えている「勝ち組安定型」と定義した[亀田誠治「JASRAC寄附講座 コンテンツ産業論 第4回 講義概要」 立命館大学、2006年10月21日。(参照:2007年5月1日。)]。継続して売れ続けていることがCDショップで積極的に売り出されることにつながり、そのことがまた売り上げにつながっているとした。この傾向はサザンオールスターズやスピッツも同様であるとしている。 パクリ問題
B'zを論評する時に、避けて通れないのが「パクリ」であるといわれている[烏賀陽弘道「日本的「模倣文化」の象徴-B'z」 『Jポップの心象風景』 文藝春秋社 2005年。ISBN 4-16-660432-5 ]。
『マルコポーロ』94年10月号では、8曲を例に挙げて「パクリのオンパレード」と評しており[都築響一「サルマネクリエイター天国18回」 『マルコポーロ』94年10月号 文藝春秋社]、『音楽誌が書かないJポップ批評14』では、メロディ、リフ、アレンジなどのテーマごとに、計38曲の元ネタを明かしているとしている[TAK・E.「元ネタ完全ガイド」 宝島編集部編『音楽誌が書かないJポップ批評14 「B'zの不思議」再考!』 宝島社 2001年。ISBN 4-7966-2335-3 ]。
2枚のベストアルバムの記録的大ヒットを受けて、朝日新聞で特集された際にも、「洋楽のパクリというのはよく言われていること」と紹介されていた[批評の広場「見えない姿 奇妙な存在感」 都築響一の文より 『朝日新聞』1999年1月30日]。夏至明および別冊宝島編集部が「B'zはファン以外からはどうみられているか」を調査した結果によると、ロックや音楽に通じている層からは「パクリ・ネタが露骨すぎ」「ビーイングという出自から来る商業主義の匂いへの嫌悪」と見られているとしている[夏至明「B'z嫌いの人のためのB'z入門」 宝島編集部編『音楽誌が書かないJポップ批評3』 宝島社 1999年。ISBN 4-7966-9466-8 ]。また、大滝詠一や奥田民生など他のアーティストなら「リスペクト」や「オマージュ」として好意的に解釈されるのに、なぜB'zだけが叩かれるのか、という点について、様々な分析がされており、元ネタへの愛情と知識の蓄積量、元ネタを商品の「タネ」としかみなしていない創作姿勢の差であるという意見、
元ネタであるハードロックに対する評価がそのままパクリの質として評価されているという意見[山本かずしげ「テーマ:パクリ&オマージュ」 宝島編集部編『音楽誌が書かないJポップ批評14 「B'zの不思議」再考!』 宝島社 2001年。ISBN 4-7966-2335-3 ]、「パクリ」という行為から読み取れる思想がないという意見[栗原裕一郎「思想としてのB'z」 宝島編集部編『音楽誌が書かないJポップ批評14 「B'zの不思議」再考!』 宝島社 2001年。ISBN 4-7966-2335-3 ]、B'zのメーンリスナー層と元ネタであるハードロックが共有されないことで、「共犯関係」を築けないためであるという意見[夏至明「B'z」 宝島編集部編『「パクリ・盗作」スキャンダル読本』 宝島社 2006年。ISBN 4-7966-5072-5 ]などがある。この問題についての作曲者である松本の発言として、夏至明は以下のインタビューを引用している。
松本「よくいるでしょ。この曲のここは
ツェッペリンだな、とかいう人。それをまるですごいことでも発見したようにいう人、いるじゃない(笑)。僕らはそういう次元ではやってないんだよね。あくまでも楽しんでやっていることだから」
[『GB』94年5月号 ソニーマガジン社]
-「遊び心があるわけですよね」
-「でも、必ず”あれパクリだぜ”とかいうヤツがいるでしょ(笑)」
松本「いるよ(笑)。ピントがずれてるよね。ロック好きなヤツがバンドやって、そうならない方が不思議だよ。遊ぶ側のセンスだし、聞く人のセンスの問題だと思うけど」。
「ハリウッド・ロックウォーク」への殿堂入り
9月21日に結成20周年に突入したB'zがハリウッド・ロックウォークに殿堂入りすることが決まった。ハリウッド・ロックウォークはロックを芸術として、また、音楽を発展させるのに大きな貢献をしたミュージシャンを讃えるべく、1985年の11月、ハリウッドの中心に位置するギターセンター・ストアに設立され、エルヴィス・プレスリー、ジョン・レノンら、175組のミュージシャンが殿堂入りしている。館内にはミュージシャンのサイン入りプレートや手形、ギターが展示されている。日本・アジア圏のミュージシャンで選ばれたのはB'zが初めてという快挙になり、176組目の受賞者となる。主な選出理由は20年の長きに渡る活動、CDの総売上げ、米国でのライブの実績、過去の受賞者スティーヴ・ヴァイの推挙などである。ヴァイは「B'zはとても才能があり、ロック・ウォークが彼らのような英語圏以外のアーティストに注目したのは素晴らしいこと。心からおめでとうと言いたい」と祝福した[「B'zが米ロック殿堂入り!アジアのミュージシャンで初の快挙」 『サンケイスポーツ』2007年9月21日]。11月19日正午(現地時間)にハリウッド・ロックウォークで授賞式が行われた。 主な記録
オリコン
アーティスト・トータル・セールス(CD総売上枚数):約7,605万枚(歴代1位)
シングル総売上枚数:約3,405万枚(歴代1位)
アルバム総売上枚数:約4,200万枚(歴代1位)
歴代シングル首位獲得数・同連続首位獲得数・同連続初登場首位獲得数:40作(歴代1位)継続中
歴代アルバム首位獲得数:20作(歴代2位・男性部門歴代1位・歴代1位は
松任谷由実の21作)
歴代ミリオンセラー獲得数:シングル15作・アルバム19作(ともに歴代1位)
歴代シングルCD連続ミリオンセラー記録:13作(歴代1位)
歴代アルバムCD連続ミリオンセラー記録:8作(歴代2位・歴代1位は
ZARDの9作)
歴代シングル首位連続獲得年数・同TOP10連続登場年数:18年(歴代1位)
歴代アルバム首位連続獲得年数:8年(1996年から2003年まで。歴代2位タイ)
同一アーティストによる歴代シングルTOP10内同時ランキング数:9作(歴代1位)
歴代アルバム初動ミリオンセラー獲得数:10作(歴代1位)
歴代音楽DVD初動枚数記録:18万枚(歴代3位)
シングル連続TOP10獲得数記録:41作(歴代1位)
(2007年11月現在)
日本レコード協会
CD総出荷枚数:約9,600万枚(歴代1位)
認定ミリオンセラー数(出荷枚数):シングル20作・アルバム21作(ともに歴代1位)
認定シングルCD連続ミリオンセラー記録(出荷枚数):17作(歴代1位)
認定アルバムCD連続ミリオンセラー記録(出荷枚数):10作(歴代1位)
(2007年11月現在)
その他
LIVE観客総動員数:延べ約750万人(歴代2位。1位はSMAPの約820万人)
2000年2月22日、
ニッポン放送のラジオ番組『B'zの@llnightnippon.com』のインターネットライブで、同時アクセス数が14,600ストリームを記録し、当時の日本記録となった。それまでは1999年8月11日に行われた
日食中継『LIVE! ECLIPSE 99』の5,648ストリームが日本記録で、記録を一気に約2.5倍に伸ばした。
(2007年11月現在)
受賞歴
1992年 - 1996年 日本ゴールドディスク大賞 ベスト5シングル賞
1992、1994、1996年 日本ゴールドディスク大賞 ミュージック・ビデオ賞
2003、2005年 日本ゴールドディスク大賞 ミュージック・ビデオ・オブ・ザ・イヤー
1996年 第10回日本ゴールドディスク大賞 グランプリ・アルバム賞『
LOOSE』
1998年 第12回日本ゴールドディスク大賞 ロック・アルバム・オブ・ザ・イヤー『
SURVIVE』
1999年 ワールド・ミュージック・アウォード99
アジア最優秀アーティスト賞
2003年 第17回日本ゴールドディスク大賞 ロック&ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤー 『
GREEN』
2004年 第18回日本ゴールドディスク大賞 ロック&ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤー 『
BIG MACHINE』
再発盤(シングル)
4th〜13thシングルまでリマスタリング12cmCD化再発(2003年3月26日)
カラオケアルバム
|
| リリース日
| タイトル
| レコードNo:
|
| 1st
| 1992年2月19日
| 'Bz TV Style SONGLESS VERSION'''
| BMCK-5002
|
| 2nd
| 1995年12月20日
| 'Bz TV STYLE II Songless Version'''
| BMCK-7001
|
非公式ベストアルバム
映像作品
海外販売作品
未音源化作品
デモ音源は割愛する
書籍
バンドスコア、楽譜
| 発売日
| タイトル
| 出版社
| 備考
|
| 1992年5月
| 'Bz Break through + Bad communication'''
| リットーミュージック
| ISBN 4-8456-0631-3
|
| 1992年8月
| 'Bz IN THE LIFE'''
| リットーミュージック
| ISBN 4-8456-0160-5
|
| 1998年2月20日
| 'Bz SURVIVE official band score'''
| J-ROCK MAGAZINE
| ISBN 4-916019-04-0
|
| 1998年8月1日
| 'Bz The Best Pleasure'''
| J-ROCK MAGAZINE
| ISBN 4-916019-05-9
|
| 1998年9月20日
| 'Bz The Best Treasure'''
| J-ROCK MAGAZINE
| ISBN 4-916019-07-5
|
| 1999年8月10日
| 'Bz Brotherhood official band score'''
| J-ROCK MAGAZINE
| ISBN 4-916019-13-X
|
| 2000年2月23日
| 'Bz The Mixture official band score'''
| J-ROCK MAGAZINE
| ISBN 4-916019-15-6
|
| 2000年12月6日
| 'Bz ELEVEN official band score'''
| J-ROCK MAGAZINE
| ISBN 4-916019-22-9
|
| 2002年7月3日
| 'Bz GREEN official band score'''
| J-ROCK MAGAZINE
| ISBN 4-916019-32-6
|
| 2002年12月
| 'Bz The Ballads 〜Love&B'z〜 official piano&vocal score'''
| J-ROCK MAGAZINE
| ISBN 4-916019-34-2
|
| 2003年9月18日
| 'Bz BIG MACHINE official band score'''
| J-ROCK MAGAZINE
| ISBN 4-916019-37-7
|
| 2005年5月28日
| 'Bz THE CIRCLE official band score'''
| J-ROCK MAGAZINE
| ISBN 4-916019-42-3
|
| 2005年11月30日
| 'Bz The Best Pleasure II'''
| J-ROCK MAGAZINE
| ISBN 4-916019-43-1
|
| 2006年6月28日
| 'Bz MONSTER official band score'''
| J-ROCK MAGAZINE
| ISBN 4-916019-44-X
|
写真集
| 発売日
| タイトル
| 出版社
| 備考
|
| 2003年9月10日
| LIVE-ON- 1988-2003
| J-ROCK MAGAZINE
| ISBN 4-916019-36-9
|
| 非売品
| LIVE-OFF- 1988-2003
|
| B'z Party会員限定記念贈呈品
|
その他
タイアップ一覧
関連人物・グループ
「FUSHIDARA100%」ラストの喘ぎ声を担当。
B'zの多くのレコーディングにコーラスで参加。
06年「ピエロ」をカバー。稲葉が彼女用に歌詞の一部を書き直す。
1991年 - 1993年までB'zのレコーディングにコーラスで参加していた。
稲葉と親交があった。
1990年のB'zのレコーディングにコーラスで参加。B'zは彼女に「GO-GO-GIRLS」を提供し、その後セルフカバーした。
同じ事務所の所属であり、B'zよりデビューは早いが、彼らはB'zのファンだと公言しており、親交が深い。メンバーの前田亘輝のソロアルバム『Feel Me』では、稲葉は楽曲を2曲提供し、クレジットにはないが、松本はギターで参加していた。
松本が彼らのサポートメンバーとして参加して以来、現在でも各メンバーと親交がある。B'zとして初ステージを踏んだのはTM NETWORKのライブイベントだった。リーダーの小室哲哉が邦楽で最も好きな男性ボーカリストとして稲葉を挙げている。
B'zとしてデビューする前に、稲葉がゲストボーカルとして参加していた。
キーボードの小野塚晃とサックスの勝田かず樹がB'zのレコーディングに参加。特に、小野塚はアルバム『RISKY』から近年まで多くのレコーディングに参加しており、B'zのレコーディングには欠かせない人物である。
B'z初ステージのライブイベント『SF Rock StationファイナルイベントThank You TM NETWORK』で共演。メンバー全員が松本と共にTM NETWORKのサポートメンバーとして活動していた。松本をTM NETWORKに紹介したのはメンバーの北島健二。
関連項目
参考文献・出典
本ページの参考文献は、以下の音楽雑誌やwebサイトがある。刊行時期を過ぎたものは閲覧が困難である。閲覧を希望する場合は国立国会図書館、大宅壮一文庫、古書店等を利用する必要がある。各出版社でバックナンバーの請求を受け付けている場合もあるので、外部リンクのリンク先もあわせて参照のこと。 外部リンク