倉木麻衣 倉木 麻衣(くらき まい、1982年10月28日 - )は、日本の女性歌手。千葉県船橋市出身。LOOP・NORTHERN MUSIC所属。前所属GIZA studio。父親は映画監督の山前五十洋。幼少時代、監督作品にも出演。聖徳大学附属高等学校から立命館宇治高等学校を経て、立命館大学産業社会学部人間文化学系入学、2005年春に卒業。 概要
1999年に17歳でリリースしたデビューシングル『Love, Day After Tomorrow』が売上140万枚の大ヒットとなり、一気に人気アーティストとなった。立て続けにシングルもヒットし、1stアルバム『delicious way』が売上350万枚を、出荷枚数にして400万枚を突破するなど、めざましい活躍を見せた。現在はデビュー当時ほどの勢いは無いが、シングルを出せばオリコンのトップ10以内にランクインしている。2005年3月に立命館大学を卒業し、現在は音楽活動に専念している。 倉木の日本の音楽業界への影響
倉木がデビューした1999年の日本の音楽業界は、小室哲哉を頂点とするいわゆる小室ファミリーの勢力が落ち込み、MISIAや小柳ゆき、特に宇多田ヒカルの爆発的なヒットによりR&Bブームが起こり、アーティスト自身の歌唱力が問われる本場アメリカを意識した「本物志向」の時代であった。またポピュラー音楽でも、浜崎あゆみやモーニング娘。、椎名林檎などの台頭により女性アーティストが業界を席巻する群雄割拠の状況でもあった。当時のブームの影響もありR&Bアーティストとしてデビューすることになる。アメリカの楽曲を意識する曲が多い中、倉木は親しみやすさ・切なさ・馴染みやすさを感じさせる歌謡曲の延長線上としてのR&Bテイストの楽曲によって音楽シーンを圧巻することとなる。ただ、PVや歌唱法などに於いては宇多田ヒカルとの類似性が多く指摘された。実際、宇多田本人も音楽番組にて「私かと思った」との発言をしている。本物志向の中、倉木の囁くような歌唱法は一部反感を買ったが、ブームに乗り、デビューは成功。特に2000年は、オリコンチャートの年間シングル・トータル・セールス1位、アルバムとアーティスト別のトータルセールス2位を記録するなど活躍する。その後も2ndアルバム『Perfect Crime』やベストアルバム『Wish You The Best』がミリオンヒットするなど、コンスタントに楽曲を発表し続けている。 メディアへの出演について
倉木はデビュー当時より滅多に地上波のテレビ番組に出演することを好まない歌手に含まれる。その多くは自身の曲がタイアップされている番組への録画されたコメントでの出演であり、音楽番組への出演は『NHK紅白歌合戦』への3回のみである。しかし、デビュー当時から比べると地上波への出演は増加している。例えば立命館大学の入学式では、インタビュー無しの写真撮影のみだったのに対して、卒業式には倉木自身がインタビューに答えている。また、紅白への出演も2003年に入ってからである。その一方で地上波以外への媒体への出演は比較的多い。アルバムなどの発売に合わせてラジオ・雑誌などには多く出演し、ラジオや衛星放送で自身の番組を持っていたこともある。2004年頃からはインターネットでの露出に力を入れている。芸能人としては早くからBlogを始め、2005年12月からは衛星放送で放送されていた「Mai-K TV」をNTTのフレッツ内で放送を始めている。ただし、他のアーティストと比べた場合、それでもメディアへの露出は少ない。理由については、ビーインググループの戦略に惚れた事であると言われている。ビーイング系の女性アーティスト(ZARD・小松未歩など)は伝統的にメディアへの露出が極めて少ない。2007年6月、初めての中国、台湾への訪問に、地元メディアがヒートアップ。空港から移動中、宿泊先など様々なシーンで彼女が登場。日本とのメディアへの対応の違いに意見が出た面もあるが、倉木サイドは旅行中をオープンにしており、日本のメディアももちろん取材ができていた。取材がオープンになったのは、中国、台湾とも式典への招待客の立場であったこと、そして、彼女の人気の高い中国、台湾への短期PR、台湾ライブのPRを兼ねたため。また、旅行中の倉木麻衣を事務所サイドでもくまなく撮影していた。これを機に、今後、彼女のメディアへの露出度に変化が出てくるかもしれない。 楽曲の特徴
楽曲の提供
全ての作品において倉木は作曲を一切せず、作曲家に曲の提供を受けている。デビューから2004年までは、その多くは大野愛果、徳永暁人、YOKO Black. Stoneの3名が占めている。特に大野愛果とは相性が良く、倉木の作品の約半分は大野の作曲である。倉木の場合、声質や親しみやすさ、囁く歌唱法から自身の個性で歌い上げるタイプではなく、楽曲の世界観を最大限に活かすアーティストのため提供曲の影響を大きく受ける。そのため作曲者が誰かということが話題になる。大野は繊細な楽曲が多く、倉木が最も得意とするミディアムバラードやファルセット・ビブラートを多用する曲で提供することが多い。徳永はJ-ROCKやJ-POPの王道を行くような楽曲を得意とし、リズムを重視するライブ受けの良い楽曲が多い。YOKOは日本R&Bのパイオニア的存在であり、倉木のR&B色の強い作品の多くは自身の作品である。倉木がR&Bから独自路線に変更後も、作品ではR&Bの色合いがある。編曲は作曲者が担当するか、ボストンの「Cybersound」に依頼する場合が多い。特に作曲大野愛果・編曲Cybersoundの作品は、ファンのみならず雑誌などでも注目の作品として紹介されている。2005年以降は大野愛果、徳永暁人を中心に多くのGIZA所属アーティストから楽曲の提供を受けている。但し、岡本仁志、後藤康二の作曲に触れるようになるが、倉木の歌唱力を絶賛した小澤正澄に対しては、作曲、編曲をさせず、リミックスだけであり、多々納好夫、小松未歩、川島だりあの作曲もない。 作詞について
一部のカバー曲、デュエット曲を除き、倉木名義の作品全ての作詞にかかわっている。ほとんどは倉木のみの作詞だが、一部共同作詞として関係者の名前がクレジットされている作品もある。詞の世界観は基本的にポジティブで、素直な女性の気持ちを歌っている。また女性アーティストに多い恋愛の詞は比較的少なく、応援的な詞や自身の戸惑い・悩み・目標や作品のテーマに沿った詞などが多い。 詞の多くは季節感を取り入れたものや抽象的な表現が多く、最近は古語や言葉の韻をふんだ詞も見受けられている。 記録・賞など
アーティスト・トータルセールス:1485.3万枚
シングル総売上:757万枚
アルバム総売上:728.3万枚
この他、大野愛果やヤンズィー、B'z、エクスペリエンスのアルバムへのゲストボーカル、コラボカバーアルバムなど多数)
シングル楽曲すべてがオリコンの上位10位に入っている。
シングルでは18作連続でTOP3入りを果たしていたが、19作目『 Love,needing』で最高位5位となり、連続記録更新を逃した(デビュー作からの記録では歴代3位。女性アーティスト、非 ジャニーズでは歴代1位)。
アルバムは5作すべてが1位を獲得していたが、6作目『 FUSE OF LOVE』で初登場3位となり、連続記録更新を逃した(オリコン調べ)。
1作目のアルバム『 delicious way』は初回出荷枚数が330万枚。これは日本における 邦楽アルバムでは歴代3位(女性アーティストでは1位)の記録。
シングルではデビュー以来26作連続でTOP10入りを果たし記録更新中(デビュー作からの記録では歴代3位。女性アーティスト、非 ジャニーズでは歴代1位)。
オリコンシングル2位は11曲にのぼり、アーティストとしてはオリコンシングルチャートの最高記録である。
第17回日本ゴールドディスク大賞で『 FAIRY TALE』がロック&ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。
日本ポニーテール協会より『第1回日本ポニーテール大賞』を受賞。 サポートメンバー及び関連人物
EXPERIENCE-ファーストライブから「Rits倉木麻衣メモリアルライブ2004」までの、黒人アーティスト4名で構成されるサポートメンバー。通常のライブ以外にもFCイベントや紅白でのサポート、PVへの出演なども行っている。特にリーダーのジェフリー・クエストは倉木への楽曲提供やライブでの盛上げ役など重要な役割を担っていた。
Purple Haze-「Mai Kuraki Live Tour 2005 LIKE A FUSE OF LOVE」のみのサポートメンバーで、EXPERIENCE同様黒人アーティスト4名で構成されている。2006年以降は特定のツアーバンドは置かれていないが、Purple Hazeのドラマーであるマービン・レノアーは継続してドラムを担当している。
西室斗紀子-デビュー時からの倉木担当ディレクター。「明日へ架ける橋」以降は同じ事務所の滴草由実担当となるが、アルバム「 DIAMOND WAVE」からは再び倉木担当となる。倉木の育ての親的存在。
孫燕姿- 台湾を中心に、中華圏を代表する女性アーティスト。「FAIRY TALE」が台湾のCDチャートで1位を取ったことをきっかけに、倉木とそれぞれのアルバムで共演している。 略歴
デビューまで
倉木が「歌うこと」に始めて興味を持ったのは、小学校6年生の時である。当時倉木はピアノを習っていて、漠然と音楽に関わる仕事をしたいと考えていた。そのピアノのレッスンの中に音符を読みながら歌っていくというものがあったのだが、その歌を聴いた彼女の先生が「あなたはピアノより、歌が向いている」という言葉がきっかけとなり、歌の道に進みたいと考えはじめた。中学生になると、倉木は洋楽、特に女性アーティストの作品を聴くようになる。そのきっかけは、マイケル・ジャクソンのビデオを見たことである。その後、マライア・キャリー、ホイットニー・ヒューストン、ローリン・ヒルなどを聴くようになり、彼女らのようなシンガーになりたいと真剣に考えるようになる。その頃、ビーイングを組織し現在KANONJIの名で倉木のプロデューサーとなる長戸大幸と出会うことになる。長戸は倉木のデモテープを聴いて高校生になってからのデビューを提案し、それまでは英語の勉強や色々な経験をつみ、デモテープを何本も作るべきだと助言する。高校生になると長戸の紹介でGIZA studioのスタッフと出会い、ローリン・ヒルの「To Zion」のカバーを歌ったデモテープを送ったところ、デビューが決定する。
全米デビューシングル『Baby I Like』を、アメリカのインディーズレーベル・Bip! Recordより10月に発売。
日本デビューシングル『 Love, Day After Tomorrow』が12月8日発売。同時期にオフィシャルウェブサイトがスタート。ちなみにこのシングルは本来10月リリース予定だったものが、急遽全米デビューしたことを受け12月にずれ込んだ経緯を持つ。
オフィシャルファンクラブ"Mai-K.net"とファンクラブサイトが発足。
爽健美茶のキャンペーンによる初のライブツアー「爽健美茶 Natural Breeze 2001 happy live」を敢行。
立命館宇治高等学校卒業、立命館大学産業社会学部人間文化コース入学。
世界で初めての IPv6を用いたスペシャル・インターネット・ライブに参加。
全国アリーナ・ツアー「Mai Kuraki Loving You・・・ Tour 2002」を敢行。
全米1stアルバム『Secret of my heart』が1月22日発売。日本でも輸入版として販売された。
SEA BREEZE Feel it キャンペーンライブツアー「GIZA studio HOTROD BEACH PARTY」に出演。
全国ホール・ライブツアー「Mai Kuraki FAIRY TALE TOUR02-03」が倉木20歳の誕生日からスタートした。
東京・大阪で計4日間行われたGIZA studioバレンタインコンサートに、同じ事務所の 愛内里菜・ GARNET CROWと共に出演。観客にはメッセージカードとチョコレートがプレゼントされた。またこのライブに先駆けて、WindowsMedia9シリーズ発表イベント「Digital Media Night」とバレンタインライブが同時開催され、そのライブ映像が Windows Media Player9シリーズのサイトでオンデマンド配信された。
『kiss』がSEE BREEZEのCM曲となり、同製品のCMへの2度目の出演となる。
α-STATIONにて倉木パーソナリティーによるラジオ番組「「Mai K Baby I Like」がスタートした。
全国ホール・ライブツアー「Mai Kuraki 2004 Live Tour Wish You The Best~Grow, Step by Step~」が4月から7月にかけて行われた。このツアーで、単独ライブ通算100回を7月4日仙台サンプラザで達成した。またツアーと連動するかたちで、 ライブドアの ブログで「Mai-K Dialy」と題して本人による日記やツアーレポートが書かれた。他にもライブ配信、インタビュー、blogをまとめたオリジナルアルバムのプレゼントなどの企画も行われた。
立命館のびわこ・くさつキャンパス(BKC)にて、「Rits倉木麻衣メモリアルライブ2004」が10月2日行われた。これまで「音楽と学業は別」と学内でのイベントを拒否してきたが、同キャンパスの開学10周年と産業社会学部創立40周年の記念年であり、倉木にとっても卒業見込みが出ており、デビュー5周年でもあったため、ライブが実現した。
3月23日 通算20枚目のSingle『 ダンシング』発売。このころ大学を卒業した本人にとっては、人生の新しい門出に踏み出す人への応援歌にしたい、という思いもあり、プロモーションも兼ねた記者会見を卒業式後に行う。
8月22日~8月28日 Mai-k cafe
10月 2008年の 先進国首脳会議( G8)の関西開催の誘致キャンペーンの一環として、関係者に配布される誘致紹介用DVDに出演。
10月28日 ライブツアーのファイナル終了直後、彼女のコメント映像がブログとしてサイトアップ。初のムービーブログとなった。
4月22日 コスモ石油と JFNによって行われるコスモ アースコンシャス アクト アースデー・コンサートに出演する。また、コンサートに先立ち ワンガリ・マータイ氏との対談が行われた。
このアースデー・コンサートをきっかけに環境問題をテーマとした音楽活動を始める。
期間限定(~12月31日)で環境問題をテーマとしたブログ『倉木麻衣の地球にちょっと良い話』が立ち上がる。
ライブツアー中に小池百合子議員がゲスト出演し、環境問題についてトーク。
10月28日 ライブツアーのファイナルで新曲『白い雪』を初めて披露。その際に着た白いロングドレスが話題に。
12月31日 倉木麻衣初のカウントダウンライブ Mai Kuraki COUNTDOWN LIVE 06,07 ~Love,Day Break Tomorrow~ をパシフィコ横浜 国立大ホールで行われた。
6月 7日 中国山東省で開催された「A3 CHAMPIONS CUP 2007」でオープニングイベントにて大会テーマソング「 Born to be Free」(発売未定)を中国語で披露。
6月15日 「金曲奨」への出演を前にした共同記者会見で、2007年11月23日に国立台湾大学体育館で初の台湾(海外)ライブを行うことを発表。
6月26日 ビーインググループの先輩でもあった亡くなった ZARDの 坂井泉水へ追悼のコメントをする。関係者とともに開催前に弔問する( 織田哲郎や 大黒摩季と違いテレビでのコメントはなかった)。
7月 3日~8月26日 2年ぶりにファンクラブイベントを開催。「Mai-K "DE・MA・CHI" LIVE DE SHOW」と銘打って、大阪2講演を皮切りに8月26日の東京まで、全国6ヶ所9公演実施。
8月20日~8月26日 Mai-k cafe VOL.2を開催。
12月12日~12月21日 『LIVE TOUR 2007』 開催予定
12月31日 カウントダウンライブ『Mai Kuraki COUNTDOWN LIVE 07-08 ~Born to be Free~』開催予定 ライブ・イベント
ライブツアー
「You & Mai Groove 2001」(2001年8月18日・8月30日)
大阪・東京の2公演、初めてのライブはFCとの企画から「爽健美茶・・・」に先行開催 総動員数:3,000人
「爽健美茶 Natural Breeze 2001 happy live」(2001年8月19日~9月4日)
全国6ヶ所、総動員数:11,000人 初めてのライブツアー。
「Mai Kuraki Loving You・・・ Tour2002」(2002年1月12日~2月27日)
全国10ヶ所14公演、総動員数:15万人 初めてチケットが一般販売されたライブ
「You&Mai First Meeting2002」(6月2日~8月28日)
全国7ヶ所、ファンクラブイベントとしてのツアー。
「GIZA studio HOTROD BEACH PARTY」(7月26日~9月10日)
全国5ヶ所、総動員数:12,000人 SEA BREEZE Feel it キャンペーンのライブツアー。MAI-K&FRIENDSとして参加。
「Mai kuraki FAIRY TALE TOUR 02-03」(2002年10月28日~2003年6月13日)
全国29ヶ所39公演、総動員数:10万人
「Mai Kuraki 2004 Live Tour Wish You The Best~Grow, Step by Step~」(2004年4月16日~7月25日)
全国29ヶ所38公演、総動員数:11万3千人( 日経エンタテイメント調べ) 前回のライブ数を半分の期間で行った。
「Mai-K a tumarrow 2005」(7月9日~8月21日)
全国6ヶ所、ファンクラブイベントとしての2度目のアコースティックライブツアー。
「Mai Kuraki Live Tour 2005 LIKE A FUSE OF LOVE」(9月3日~10月28日)
全国15ヶ所16公演 総動員数:7.4万人
「Mai Kuraki LIVE TOUR 2006 DIAMOND WAVE 」(8月11日~10月28日)
全国35ヶ所36公演 総動員数:11万人
「Mai-K "DE・MA・CHI" LIVE DE SHOW」(2007年7月3日~8月26日)
全国6ヶ所8公演、ファンクラブイベントとしての3度目のアコースティックライブツアー。 単独ライブ
「THURSDAY LIVE at hills パン工場 "MICHAEL JACKSON NIGHT"」(2003年8月28日 hills パン工場-堀江)
大阪北堀江にあるライブハウス『hills パン工場-堀江』で毎週木曜に行われているパン工場ライブ。メインのEXPERIENCEのゲストとして出演。マイケル・ジャクソンの曲をカヴァー。フレッツ・スクウェアにてライブ中継された。
「SEABREEZE 倉木麻衣 トークライブ in 沖縄」(2003年9月28日 沖縄万国津梁館)
シーブリーズで50組100名に沖縄旅行と倉木麻衣のトークライブが当たるというイベント企画。1750倍の競争率だった。
「倉木麻衣 LIVE IN 平安神宮 ~京都学生祭典 2003~」(2003年10月11日 平安神宮境内 特設ステージ)
京都の大学が集まって大きな祭りをやろうという企画「京都学生祭典」のイベントの目玉として開催。立命館大学に通う学生として、また実行委員会のメンバーとして初の学園祭ライブで初の単独野外ライブ。観客数は8000人。
「Rits 倉木麻衣 メモリアルライブ 2004」(2004年10月2日 立命館大学 びわこ・くさつキャンパス クインスタジアム)
倉木麻衣が通う立命館大学のBKC10周年、そして産業社会学部の創設40周年を記念して行われた観客数25000人の野外ライブ。彼女にとってはデビュー5周年と卒業前の記念ライブでもあった。
「THURSDAY LIVE at hillsパン工場 "最後の夏休み special NIGHT"」(2005年8月25日 hills パン工場-堀江)
大阪北堀江にあるライブハウス『hills パン工場-堀江』で毎週木曜に行われているパン工場ライブに出演。フレッツ・スクウェアにてライブ中継された。
「コスモ アースコンシャス アクト アースデー・コンサート」(2006年4月22日 日本武道館)
環境問題を考える「アースデー」である4月22日に「地球を愛し、感じるこころ」のメッセージを発信するスペシャルライブ「アースデー・コンサート」に参加(女性ソロでは初)。21曲を熱唱。FM東京をキーステーションに、日本国内の系列FM局はもちろん、アジア、欧州など世界約30ヶ国のラジオで放送された。
「Mai Kuraki COUNTDOWN LIVE 06,07 ~Love,Day Break Tomorrow~」(2006年12月31日~2007年1月1日 パシフィコ横浜 国立大ホール)
倉木麻衣初のカウントダウンライブ。 ディスコグラフィー
シングルCD アルバムCD
オリジナルアルバム
ベストアルバム
Mai-Kとして全米リリース(インディーズ)
シングル
Baby I Like(1999年10月16日、Bip! Record) アルバム
Secret of my heart(2002年1月10日、GIZA USA) 音楽配信
Diamond Wave ~grand bleu mix~(2006年6月11日、GIZA)海外のiTunesサイト限定で『Mai-K』名義で配信 DVD
FIRST CUT(BMBD-7001、2000年11月8日)
Mai Kuraki&Experience First Live Tour 2001 ETERNAL MOMENT(BMBD-7003、2001年11月21日)
Mai Kuraki“Loving You…”Tour 2002 Complete Edition(BMBR-7006・BMBR-7007、2002年5月15日)
My Reflection(ONBD-7031・ONBD-7032、2004年1月7日)
Mai Kuraki 5th Anniversary Edition Grow, Step by Step(ONBD-7046.7047、2005年01月05日)
Mai Kuraki Live Tour 2005 LIKE A FUSE OF LIVE (ONBD-7062.7063、2006年2月22日)
Brilliant Cut ~Mai Kuraki Live & Document~ (VNBM-7001.7002.7003、2007年8月22日) VIDEO
FIRST CUT(BMVR-7001、2000年11月8日)
Mai Kuraki&Experience First Live 2001 in Zepp Osaka(BMVR-7002、2001年9月19日)
Mai Kuraki&Experience First Live Tour 2001 ETERNAL MOMENT(BMVR-7003、2001年11月21日)
Mai Kuraki“Loving You…”Tour 2002 Final 2.27 YOKOHAMA ARENA(BMVR-7006、2002年4月3日) アナログ盤
BABY I LIKE REMIXIES(TRJ-001、1999年11月27日) - 全米(インディーズ)
Love, Day After Tomorrow(TRJ-002、2000年3月8日)
NEVER GONNA GIVE UP(TJR-003、2000年6月19日)
Reach for the sky Remixed by GOMI(TJR-006、2000年11月22日)
Stand Up/YES or NO(GZJI-008、2001年5月3日) 書籍
『myself music』 - ISBN 4198616132(徳間書店、2002年12月15日) 関連書籍
『delicious way』 - オフィシャルピアノ&ボーカルスコア、ISBN 4916019180(ジェイロックマガジン社、2000年6月28日)
『and others』-森美保写真集、ISBN 4916019199(ジェイロックマガジン社、2000年6月)
『inside works』-小島巌作品集、ISBN 4916019202(ジェイロックマガジン社、2000年6月)
『Perfect Crime』 - オフィシャルピアノ&ボーカルスコア、ISBN 491601927X(ジェイロックマガジン社、2001年7月4日)
『Innocent live』-1stライブツアーのドキュメンタリーブック、ISBN 4916019288(ジェイロックマガジン社、2001年10月)
『HOTROD BEACH PARTY~Book Edition 2002~』
-HOTROD BEACH PARTYのドキュメンタリーブック、ISBN 4916019334(ジェイロックマガジン社、2002年10月) 関連項目
その他関連項目・逸話
愛犬は ボーダー・コリーのキャスパー。名前は映画『 キャスパー』の主人公キャスパーから付けられた。倉木の描くイラストによく登場している。
デビューシングル『Love, Day After Tomorrow』から『Secret of my heart』、『NEVER GONNA GIVE YOU UP』、『Simply Wonderful』、『Feel fine!』、『Diamond Wave』まで過去6曲が 浜崎あゆみの シングルと同発。特に『NEVER~』発売時は倉木・浜崎双方の絶頂期であったことから、マスコミからは「歌姫対決」として注目されていた。
シングル『Simply Wonderful』は「Club Edit」と「Radio Edit」のダブルエディットが収録され、日本初のダブルエディットシングルとして報道された。このうち「Radio Edit」はベストアルバムに収録されたが、「Club Edit」はシングル以外には収録されておらず、プロモーションビデオも存在しない(「Radio~」には存在)。
外部リンク
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