ギニアビサウ
ギニアビサウは、正式名称ギニアビサウ共和国で、アフリカ西部の大西洋に面した国。セネガル、ギニアに接する。首都はビサウ。15世紀半ばにポルトガル人が上陸。奴隷貿易の中継地となり、1879年にポルトガル領ギニアが単独でポルトガルの植民地となった。1973年9月24日に独立宣言、1974年9月10日に承認。現在の公用語もポルトガル語である。
国名
正式名称は、República da Guiné-Bissau . 通称、Guiné-Bissau。公式の英語表記は、Republic of Guinea-Bissau。通称、Guinea-Bissau。日本語の表記は、ギニアビサウ共和国。通称、ギニアビサウ。ギニアビサオと表記されることもある。
歴史
独立まで 1446年 ポルトガルがこの地域一帯の領有を宣言。
1879年 カーボベルデ諸島植民地から分離して単独の植民地となる。民族主義的集団が形成され、武装蜂起が度々起こる。
1951年 ポルトガルの憲法改正により、植民地から海外州・県(海外の領地)となる。
1974年 9月10日 ポルトガル政府により正式に独立が承認される。
PAIGCはカーボベルデとの統一を目指していたが、ギニアビサウ国内にてカーボベルデ系への反感が高まり、カーボベルデ系のルイス・カブラルが軍事クーデターにより失脚する形で統一が達成されることはなくなった。 独立後
1984年 革命評議会に代わり国家評議会が設置され、ヴィエイラが議長に就任する。
建国当初の親東側路線はヴィエイラ政権により親米路線に変更されたが、国内での治安は悪く、クーデター計画が頻発した。
1990年 ヴィエイラ、複数政党制民主主義への移行を表明。
1998年 クーデターをきっかけに内戦が発生し、避難民30万人が ビサウに流入する。
1999年 クーデターでヴィエイラ大統領が亡命する。
政治
2007年4月10日、ビエイラ大統領は、野党のギニア・カーボベルデ独立アフリカ党(PAIGC)のマルティノ・ヌダファ・カビを首相に任命した。 地方行政区分
ギニアビサウの地方行政区分は8州(regiõe)と1自治区(sector autónomo)からなる。
ビサウ自治区 (Sector autónomo de Bissau) | 地理
熱帯にある小国であり、いくつかの河川が流れる大陸部と島嶼部(ビジャゴ諸島)からなる。高い山は無く、国内の最高所の標高は310mである。内陸部はサバンナであり、沿岸部は沼沢地のところが多い。雨季とサハラ砂漠からのハルマッタンによる暑く乾燥した乾季がある。 経済
工業、鉱業がほぼ存在せず、労働力の8割が従事する主要産業の農業も米などの自給農業が中心で、しかも国内需要すら満たせないほど生産性が低い。企業家層がおらず、識字率も低いため、経済発展の基礎的な条件が存在していない。産業と呼べるものがほとんど無いため、世界最貧国のひとつとなっている。
カシューナッツや落花生が主な輸出品である。通貨は1997年以前はギニアビサウ・ペソが法定通貨であったが、1997年より西アフリカCFAフランが導入された。 国民
住民は、バランテ族が多く、他にフラニ族、マンディンカ族などの部族がある。少数だが、主にカーボベルデから来たクレオールやヨーロッパ人(主にポルトガル人)などもいる。クレオールは政治などを支配していた事から現地住民(特にバランテ族)は長年不満を抱いており、1980年のクーデターに結びついた。言語は公用語はポルトガル語だが、ポルトガル語を話す人の割合はあまり高くなく、ポルトガル語をベースにしたクレオール語が共通語としての役割を果たしている。ほかにバラント語、フラ二語、マリンケ語などの現地語などがある。
宗教は、現地宗教が50%、イスラム教が45%、キリスト教が5%となっている。 文化
関連項目
外部リンク
公式
政府公式サイト その他
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