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アンゴラ アンゴラ共和国(アンゴラきょうわこく)、通称アンゴラは、アフリカ南西部に位置する共和制の国。首都はルアンダ。ナミビア、ザンビア、コンゴ民主共和国、コンゴ共和国に隣接し、西は大西洋に面している。
国名
正式名称はポルトガル語でRepública de Angola。通称、Angola。公式の英語の名称は、Republic of Angola(リパブリック・オブ・アンゴラ)。通称、Angola(アンゴラ)。日本語の表記は、アンゴラ共和国。通称、アンゴラ。
1992年 - アンゴラ共和国 歴史
この地域には、1世紀頃から主にバントゥー系のアフリカ人が住んでいた。1482年、ポルトガル人がコンゴ川河口に到着、基地サンサルバドルを築いた。1490年にポルトガルが植民地経営を開始。ブラジルへの奴隷供給地となった。20世紀に入り、約40万人のポルトガル人が入植1951年ポルトガルの海外県に。この頃から独立運動が活発化した。1975年11月11日独立。ソ連及びキューバの支援するアンゴラ解放人民運動 (MPLA) 、アメリカ合衆国と南アフリカ共和国が支援するアンゴラ全面独立民族同盟 (UNITA) 双方が政府を樹立し内戦状態に。結局MPLAが勝利し、政権を掌握した(アンゴラ国民解放戦線)。1979年9月、第2代大統領にジョゼ・エドゥアルド・ドスサントスが就任。アンゴラ政府はソ連など社会主義陣営との結びつきを強め、MPLAによる社会主義一党独裁制を敷いた。しかし、この間もUNITAとの内戦(アンゴラ内戦)が続いたため、多くの人命が失われ、経済は疲弊。さらに戦闘や地雷で負傷してしまった人々も多く発生した。アンゴラ内戦は、政府・反政府勢力がそれぞれ米ソの後援を受けていたことから、東西冷戦の代理戦争と言われている。MPLAは1990年に社会主義路線を放棄し、翌年には複数政党制の導入を決めた。ポルトガル政府の仲介で1991年5月、MPLAとUNITAがリスボンで和平協定に調印。しかし1992年の大統領選および議会選をめぐる対立から再び内戦に。国連の仲介で1994年11月に和平がなったが、1998年に内戦が再燃した。2002年2月、UNITAのジョナス・サビンビ議長が戦死。和平機運が高まり、3月15日に双方は休戦で合意した。4月4日に休戦協定が結ばれ、27年間の内戦に終止符が打たれた。 政治
元首: ジョゼ・エドゥアルド・ドス・サントス大統領
地方行政区分
18(províncias)州の下に158の市町村(municípios)に分かれている。
地理
国土面積は124万6700平方キロメートルで、ニジェールに次いで世界で23番目。また日本の約3.3倍の大きさである。アンゴラ本土(カビンダ州を除く地域)は、南はナミビア、東はザンビア、北はコンゴ民主共和国と国境を接続する、また飛び地であるカピンダ州はコンゴ民主共和国とコンゴ共和国に挟まれている。 経済
長年にわたる内戦によってインフラの破壊や人的資源の損失などが著しいが、沿岸部の埋蔵量80億バレルとされる石油と内陸部に産出するダイヤモンドなどで、経済的な潜在力は高い。内戦が終結し、毎年貿易で30億ドル以上の黒字を記録するなど、これからの発展に十分な期待が持たれる国として外国企業の進出も盛んである。
また、2007年1月1日にはOPECに加盟した。対日本関係は1990年代以前は希薄であったが、内戦の終結や豊富な資源等が発見され、次第に関係を深めている。2005年にはアンゴラ日本大使館が開設された。
国内総生産: 114億ドル(2002年)
一人当たり国民所得: 660ドル(2002年) 国民
民族: オビンブンドゥ人37%、キンブンドゥ人25%などアフリカ系黒人諸民族が大半
文化
スポーツ
軍事
緊急即応警察軍: 1万人 関連項目
外部リンク 公式
その他
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